”おしもはんとは”
「おしもはんに参加する」は「祭事を行う為の寄合に参加する」に似ている。
この寄合は参加出来る時に参加し、2日間の祭事の内1日だけの参加でもいい。
また、祭事当日参加出来ない人もいる。
子ども達も参加したい時に参加するのでいい。
子ども達も参加したい時に参加するのでいい。
それがこの寄合に参加する人達にとって自然なことであり、
各自役割を分担しつつもただただ空気感で動いていることもある。
寄合では、人がうまれてからしぬまでの’しも’にまつわることが話され、
儀式のように工程化されていく。
それでも毎回寄合仲間が揃うわけではないので、きっちりとしたしきたりにはならない。
寄合参加者の中には恥ずかしそうに儀式に参加している者もいれば、
堂々と仕切っている者もいる。
たまに思わぬ動きをしている者もいたりする。
それぞれ祭事に対して思うことがあるのだろう。
祭事を行うプロフェッショナルは存在せず、祭事に無縁だった者も
なんだか分からない内に寄合仲間になっていたりする。
むしろ分からないから参加したのかもしれない。
「おしもはん」というのは、生であり、死であり、性であり、しもであり、人のようで
人ではない、空間で自在に変化していく大きな得体の知れないものかもしれない。
寄合参加者はそれぞれの生活の延長線上に「おしもはん」を
捉えているにもかかわらず、全貌は見えていないのだ。
祭事が行われる時はじめて、自分達が何かをささげている「おしもはん」に
出会うのだろう。
と書くと、とても不思議な寄合であるが生活のパワーに溢れている。
祭事があろうとなかろうと、寄合参加者はそれぞれの役割を続けていて、
それがたまたま「おしもはん」で繋がっただけなのだ。
祭事当日に新規の寄合仲間も知らない内に増えるのではないかと少し思っている。
大歳芽里
個人ブログ http://kiwameri.blogspot.jp/
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