2015年11月17日火曜日

美術の小池芽英子さんから


おしもはんメモ(おしもはん物体制作のためのメモや皆の話などを聞き書きしたメモから)
しつらえた所でのおしもはんでなくて
お客さんもみることで参加していくような
だんだん舞台ができてくる
子どももいれるような空間
演目を見るためにその場を緊張して居なくてもいい
子どもたちのざわざわも舞台のひとつの風景になるような装置
ある状況をあるままに設えていく準備していける
老人も昔もむかしちいさい
ちいさいひとも老人になっていく
じゅんかいしていたらさみしくないかも
縄が丸くなっていく
数珠回し 数えながらたぐり回していく
レイ ハワイでは人を迎えるときに首にかける環 つながっていくことのあいさつ 
カミサマ的な作業 日常非日常を相まって作っていく
踊りと別のリズム
舞台上でひたすら作る時間
暮らしの中にいき着く瞬間
暮らしの中で芸術と交わる時間
3人の美術  違うものが交わる
ずっとそこに住んでいるような
日常の強調 
おしもはん 
おみよさん
塊が反転して膜の中にみんながいて送り出したはずがずっといてる
膜をたぐりよせながら送り出していく
もしかしたら永遠にたぐり続けるのかもしれない
皆で踊る踊り
リアルなことをかわいく見せる
えぐくなくほほえましい 祭りの力
神事
絡み合った蛇
みんなで依ろか
はく ゆう よる
作業歌  見る音
おしもはんのうた
おしもはんこの世にやっってくる
おしもはんあそんでそして帰っていく
迎えもてなし送り出す
永久運動(永久運動メモ参照)
「カミサマ」(永久運動メモ参照)
ナマコ (永久運動メモ参照)
137億年(永久運動メモ参照)
おしもはんの成長するベクトル
カミサマを呼ぶ 
御幣 神楽で飾るカミサマを可視化したもの
見えないカミサマを可視化 
風に揺れたり 
ひとつでなくていっぱいいる
みえないものは身近にあって、それと一緒にいきている
おおきな世界があって、その人たちと一緒にいきている
通過するものでなく循環するわたしたち
循環しているならば寂しくない
なにもなくふちどられた身体をもちあげる
身体に残る介助の所作
介助する側される側の所作
ひとりの人間が身体をかわるがわるうらおもてに
立ち位置を変えながらくるくるする
身体にしみ込んでいるもうそこにはいないひとへの記憶
ひとつひとつの所作はもういないあの人と今のけいこの身体を再生構築していく
みる人がいて なにもないからだをみる
手から手へ 不在の重量
そのためのもの とは
送り出しながら開いていく
おしもはんが無くなっていく
おしもはんが希釈していく
からだにしみ込んでいくよう おしもはんおしもはんおしもはーん



小池芽英子
個人ブログ http://koikemeeko.exblog.jp 


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